コラム
あれから20年・・・
こんにちは。すっかり日が短くなり平均気温も下がってまいりましたが、体調は大丈夫でしょうか?
私は、今年もインフルエンザの予防注射をせずに(幼稚園からの筋金入りの注射嫌いなもので)、風邪を引かないで過ごす予定です。
今年も、あと1ヶ月を切ってまいりました。
前回イクラの高騰の話をしましたが、たまたまスーパーの特売で100グラム800円というサービス価格を見つけて、すかさず購入して醤油漬けで冷凍にしました。
そろそろ、年末の準備を始めないといけませんね。
先日は、たまたま私の出身母体である山一證券の事業法人部(私は引受でしたが)の先輩たちが数人集まるということで、お声掛けをいただきました。
私は元々、群れるのが嫌いな体質で、会社の同期会とか出身部門の同窓会などは、いままで遠慮させていただいていたのですが、たまたま自分のお会いしたい先輩ばかりであったので、参加させていただきました。
「あれから40年・・・」は漫談家の綾小路きみまろ氏の有名な熟年夫婦のボヤキネタですが、今回は「あれから20年」の話です。
今年の11月24日は、山一證券の自主廃業から20年ということで、同期会にマスコミの取材が来たという先輩もいらっしゃいました。
私は、96年1月に退社しましたので、最期を見届けていなかったこともあり、会社に在籍しながら自主廃業の知らせに接した人たちには、やや引け目を感じているのは事実です。
しかし、あの当時、北海道拓殖銀行も三洋証券も破たんしたのに、なぜか気づいてみれば97年は「山一の破たん」ということで、統一されているようです。
やはり、会見で当時の野澤社長が号泣されたことが今でも人々の印象に強く残っているようです。
今回の会にこられた先輩方は事業法人部のエースクラスだった方々ということもありますが、皆様、60歳~70代にもかかわらず、事業会社の社長、大手証券の元専務執行役員、投資顧問会社の社長、事業コンサルなど、まだ現役バリバリで活躍されていたのは驚きましたが、一方で、ご苦労されている先輩・後輩も多数いらっしゃると聞いております。
山一證券のOBで人材紹介をしている人が多いのは、雇用の流動化の波に上手く乗ったということもあるのでしょうが(私は2波ほど逃しております。)、同じ会社の人間が一度に異なる業界や、会社に一度に散ったということで、知人が自然にクライアントになっていったという事情も大きかったのではないか?と思います。
しかし、もうこのようなことは繰り返して欲しくないというのが正直な私の想いです。
社員数が10000人近い会社が無くなるというのは従業員の家族も数えると、影響は計り知れないものがあります。
11月25日の日本経済新聞の社説に山一破たん後の20年の金融業界の変遷について非常にうまくまとめられていたので、読み忘れた方は読まれても良いかと思います。
株式の手数料の自由化に伴うネット系証券の台頭、金融グループの大集約、時価会計を始めとした情報開示の改善、日本企業の体質改善に伴う26年ぶりの日経平均の戻り高値更新、そして仮想通貨に代表されるフィンテックの進展に伴う銀行の事業構造の大変革など、今後も金融を取り巻く環境はめまぐるしく変わっていくのでしょうが、どちらかというと情報や仕事の合理化に伴いITの渦巻きに取り込まれ、一部の金融の障壁が取っ払われて、他産業の参入が容易になってきているという感が無きにしもあらずです。
20年後の金融業界がどうなっているかは私のような者には想像もつきません。
ただ、超IT化が進んでいて就業している人数自体は、現状の半分以下になっているのは何となく想像はできます。
しかし無くなる業態ではないと思うので、現役の皆様は降り飛ばされないようにしっかりとキャリアを形成して参りましょう。
現在、業務時間の短縮が業界の流れになっておりますが、そうは言っても20代から30代の方はできるだけ厳しい職場環境で、自己を鍛錬されることをお奨めいたします。