コラム

武士道に魅せられたイギリス人

こんにちは。梅雨入りしましたが、思ったよりも雨の量が少ないですね。
空梅雨も土砂崩れが起きるような大雨も困りますが、週末に走れる時間を少しいただければ個人的には文句はございません。

今週は夏至でしたね。明るくなってくると「私は、頑張っています。」と思いだしたように出社が早くなったり、早朝走り出す方がいらっしゃいますが、私はこのような方を「昆虫族」と位置付けております。日が短くなってくると姿を消すからです。
人間はお日様と共に生きているのだから自然体だと言えなくもないのですが、一度決めたら、できるだけ持続する形で続けられる方を私は信用しますし、パフォーマンスを出せるのではないか?と思っております。ちょっと辛口すぎますかね?

ところで、私の主な情報源は本とテレビの情報番組です(ネットの情報は基本的に信用しておりません。)。本は、一度読みだすとその中に登場する気になった人物や事柄について他の本で調べたりしますが、やはり連続性の範囲内に収まってしまいます。
一方テレビの情報番組の場合は、制作者が勝手にテーマを選んでくれるので非連続性のケースが多々あり、全く想像も付かない世界に誘ってくれることがあります。

実はTokyoMXが好きで、マニアックな番組を録画して見ています。
その中でも、土曜日の朝9:00の「歴史発見 城下町へ行こう」という日本各地の城をテーマにした番組が好きで、欠かさず見ています。ガイド役のピエール瀧さん(今は実質引退状態ですが)の、明るく元気で謙虚なお人柄にも好感が持てます。

先週は「鹿児島の鶴丸城」を中心に紹介をしていて、司馬遼太郎の「跳ぶが如く」を読んでいる私としては興味深く拝見したのですが、以前「長崎」の特集をやっていて、その中でトマス・グラバーの話が出てきました。あのグラバー邸(オペラ 蝶々夫人の舞台?)の所有者だった人です。
私は、今まで「死の証人」とか「倒幕の黒幕」などの断片的なイメージしか持っていなかったのですが、彼は結局武士道に心酔して日本で亡くなったということはご存知でしたでしょうか?

グラバー.pngイギリスで1938年に生まれたグラバーは、1859年21歳で長崎に到着。今でもコングロマリットとして活躍するジャーディン・マセソン商会と組んでその有力エージェント(グラバー商会)の地位を確立した彼は1960年代の後半に最も活躍しました。
商才には非常に長けていたのですが、意外にも資金繰りの計算があまり上手ではなかったのか、明治維新後の1870年に彼の会社は倒産してしまいました。
幕府や長州・薩摩を相手に商売を膨らませて行ったのは良かったのですが、明治維新を契機に彼らから資金を回収できなくなり、かなりの額の不渡りを出したようです。彼は、金儲けも大事だったのでしょうが、それよりも倒幕に向けて命を懸けて走り回っていた薩摩や長州の武士に感銘を受けて、資金を融通していたのは有名な話ですよね。

グラバー邸4.jpg

例えば、1965年に五代友厚の発案で薩摩藩がイギリスへ森有礼ら15名の留学を派遣した際に(勿論幕府には内緒で)、信用状の発行や現地でのアテンドなどで面倒をみてあげたりしました。また、グラバー邸の屋根裏の隠し部屋(発見されたのが、1987年だったそうです。)に薩長の志士を何度も匿ったこともありました。

彼は幕末の日本で茶の商売から始まりましたが、メインは銃や大砲などの武器や艦船でした。因みに、1860年~1867年の間に日本では106隻の艦船が輸入されましたが、内24隻はグラバーが売却したものだったようです。
その艦船を何処で入手したと思いますか?一部には65年に終結したアメリカの南北戦争で使用された多くの軍艦が商船に改造されて長崎経由で輸入されており、銃や大砲も同様だったようです。

ところで・・幕末において1853年の「黒船の来航」というイメージが強すぎアメリカの影響が大きかったという先入観があったのですが、その後1958年に日米修好通商条約を結び批准書を交換するために1860年新見正興らの遣米使節が派遣されて、新潟、兵庫、江戸、大坂と開港するものの、幕末においてアメリカの存在が急速に薄くなっていったのは南北戦争の影響があったことは否めないでしょう。
確かに明治の日本の近代化を主導したのは、イギリス、フランス、ドイツでした。
中々世界史と日本史を一緒の年表で考える習慣がまだできていないので、頭の中で有機的に結びついていないのが悩みですね。

話は脱線しましたが、明治に入ってから彼は貿易商ではなく、事業家として活躍しました。
蒸気船の往来がまだまだ増えることを予想して、佐賀藩と共同で高島炭鉱の操業開始に深くかかわり、操業を始めました。(自社の倒産で手放すことになり、紆余曲折を経て岩崎弥太郎の手に渡りました。)
また、日本人のビールの消費量が増えることを念頭に、アメリカ人のウィリアム・コープランドが横浜山手の天沼に設立した「スプリング・ヴァレー・カンパニー」が経営不振で1885年に工場を売却することになった際に、共同で買収してジャパン・ブルワリー・カンパニー(後の麒麟麦酒)を設立。縁があってか、80年代後半には鹿鳴館の書記や、三菱の顧問として活躍したそうです。

1908年7月には外国人としては異例の勲二等旭日章を受けたのですが、その際の叙勲申請書草案には、「もともと営利を追求する商人ではあったが、王政復古の大事業に向けてイギリスと薩長を結びつけることを英公司パークスに説得し、その方針を貫徹するために営利の範囲を脱して誠意と熱意をもって対応した。」と記されています。

この話で皆さんも少しグラバーに対する見方が変わったのではないでしょうか?幾ら儲けて金持ちになったという人よりこのような志の高い人に魅かれてしまうのは私の性なのでしょうね。

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    岡田 英行

    メインのキャリアは大手日系・外資系投資銀行における10年に及ぶ円金利商品の金融法人向けセールス。その他、リテールセールス、キャピタルマーケット、不動産証券化、ヘッジファンドなど金融における幅広い実務経験を有する。ご本人にとっての転職の是非を含め最善の道をご提示します。いただいた求人案件も、本当に良い案件なのか吟味してから良い点、そうでない点を整理してご紹介しております。

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